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京都地方裁判所 昭和33年(わ)940号 判決 1960年3月16日

被告人 菅月泉

明三九・一〇・一八生 僧侶

主文

1、本件公訴事実のうち、昭和三一年一〇月六日の起訴にかかる各業務上横領事件につき、被告人は無罪。

2、昭和三三年一一月一五日の起訴にかかる業務上横領事件の公訴は、これを棄却する。

理由

第一、本件公訴事実は

一、昭和三一年一〇月六日起訴(以下本起訴と略称する)

被告人は、京都市左京区銀閣寺町二番地、宗教法人慈照寺の住職で、同法人の代表役員として、その事務の総理、財産の管理に任じていたものであるが、

(第一)(一)別表第一記載の如く昭和二九年三月二七日頃より同三〇年三月一〇日頃迄の間六回に亘り被告人が右職務上同法人のために預り保管中の同法人の普通財産たる現金合計三五〇、〇〇〇円を擅に同市中京区柳馬場押小路御幸町西入山本成一方外二箇所において同人外二名に対し被告人の借入金返済に充当し以て横領し、

(二)別表第二記載の如く昭和二九年三月三一日頃より同三一年三月五日頃迄の間四回に亘り前同様被告人の職務上同法人の為に預り保管中の現金合計四四、七五〇円を擅に同市中京区西木屋町六角下ル山本達夫方外二箇所において同人外二名に対し情婦三ヶ月静子の為同人の家賃、洋服購入代金等に充当し以て横領し、

(第二)妻きぬと共謀の上

(一)別表第三記載の如く昭和二九年五月二〇日頃より同三一年三月三〇日頃迄の間三回に亘り前同様被告人の職務上同法人のため預り保管中の現金合計一、一五〇、〇〇〇円を擅に同市左京区東山通百万遍角第一銀行百万遍支店外一箇所において同店外一名に対し被告人の借入金返済に充当し以て横領し、

(二)別表第四記載の如く昭和二九年六月七日頃より同三一年二月四日頃迄の間四回に亘り前同様被告人の職務上同法人の為に預り保管中の現金合計五八五、二八〇円を擅に前記慈照寺外一箇所において菅しげ外一名に対し被告人及び菅きぬの用に供する目的を以て右しげより買受けた宅地の代金並に右宅地の譲受けに関する税金等に充当し以て横領し

たものである(罰条刑法第二五三条)

二、昭和三三年一一月一五日起訴(以下追起訴状と略称する)

被告人は京都市左京区銀閣寺町二番地宗教法人慈照寺の住職で同法人の代表役員としてその事務の総理、財産の管理に任じていたものであるが、妻菅きぬと共謀の上被告人が右法人のため業務上保管し右菅きぬをして菅子名義を以て同市同区東山通百万遍角第一銀行百万遍支店に預け入れさせていた普通預金中より昭和二九年六月一一日に四五〇、〇〇〇円、翌一二日に四五〇、〇〇〇円、合計九〇〇、〇〇〇円をそれぞれ引出し、いずれも前同日頃同市同区銀閣寺町二番地菅しげ方において同人より右菅きぬが買受けた土地代金の一部として擅にこれを右菅しげに支払いもつて横領したものである(罰条刑法第二五三条)

というにある。

第二、公訴棄却の理由

弁護人らは、昭和三三年一一月一五日追起訴にかかる、右第一の二の公訴事実は、本起訴の第二の(一)別表第三の1及び、第二の(二)別表第四の1、2(以下単に、別表第三の1及び別表第四の1、2と略称)の、各公訴事実と同一であるから、二重起訴として、公訴を棄却すべきであると主張するので、この点について検討することとする。

まず、本件追起訴の公訴事実を示す右第一の二の訴因と、本起訴別表第三の1及び別表第四の1、2の各訴因とを、比較してみるに、別表第三の1の訴因には、第一の二の訴因とは、日時、金額、行為等において、異る記載があり、右第一の二と別表第四の1、2の各訴因は、「被告人が、菅きぬと共謀して、宗教法人慈照寺のため業務上保管中の金員をもつて、菅しげより買受けた土地代金の一部を支払い、その金員を横領した」という点において、同一であることは明らかであるが、その金員支払いの日時及び、金額が異り、且つ、右各訴因に記載されている被告人らの買受けた土地が、同一のものであるか、否かが、明確でないから、これらの訴因の記載のみによつては、未だ、右各訴因が、同一の公訴事実を示しているものとは、俄かに断定し難いところである。

しかし乍ら、検察官は、その冒頭陳述において、本起訴の別表第三の1の事実は、「被告人夫妻が、被告人の母しげから、同人所有の不動産を買受け、その代金の一部に充てるため、借り受けていた金員につき、業務上保管中の金員をもつて、貸主たる第一銀行の支店に返済して、費消したものである」旨、別表第四の1、2の事実は、「被告人夫妻が、菅しげ所有の不動産を買受け、業務上保管中の金員を、右代金の一部として、支払いに充てたものである」旨述べ、且つ、裁判所の釈明乃至弁護人からの釈明申立に対し、右各訴因、及び、冒頭陳述において、被告人らが菅しげから買受けたと指摘する土地は、いずれも、京都市左京区浄土寺南田町二番地一四四坪三合四勺、同町八番地の二、一〇坪、同町二番地の一、一四一坪九合二勺、同町三番地三坪以上宅地四筆合計二九九坪二合六勺であり、その総代金は九〇万円であつた旨述べ、更に追起訴である第一の二の訴因と本起訴別表第四の1、2の訴因とは、いずれも、同一代金の支払行為を、具体的に示したものであること、及び、別表第三の1の訴因は、右同一代金の支払いに充てた金員につき、これを貸主に返済した行為を示したものであることを認める旨述べている。

そして、検察官は、右別表第三の1及び同第四の1の金員は、被告人が被告人名義の第一銀行百万遍支店の普通預金として保管し、別表第四の2の金員は、これを現金として保管し、第一の二の金員は、被告人が、菅きぬ名義の第一銀行百万遍支店の普通預金として保管していたものであつて、右各訴因において、示された、金員の、支出の日時、金額及びその保管の態様等が異る以上、その公訴事実の同一性はないと主張する。

元来、公訴事実が同一であるためには、その基本となる社会的事実が同一であることはもとより、訴因の基本的部分が共通であることを要すると解せられるところ、本件においては、右各訴因の記載によつて明らかであるように、その訴因が、いずれも費消横領罪として、法的に構成されているのであるから、公訴事実の同一性の有無は、その基本的、社会的事実の同一性の有無如何によつて、決せられるべきである。

そして、訴因として構成される事実は、無限の社会的事実のうち、刑罰法規の構成要件に該当すべき、一定の時点における被告人の行為、及び、その結果を、主要な要素としているものであるから、本件の基本的事実の同一性の有無は、前掲数個の訴因が右の意味における同一行為を、とらえているか否かによつて定まるのである。

そこで本件についてみるに、本起訴別表第三の1の訴因は、被告人が、慈照寺のために保管中の金員より、自己の第一銀行百万遍支店に対する借入金の返済に充てたという行為を、業務上横領罪として構成しているのであつて、これと追起訴状の訴因を比較すると、その基本的事実関係が同一であるとは認めることはできない。

しかし乍ら、右追起訴状の訴因と、本起訴別表第四の1、2の訴因とは、共に、被告人が妻菅きぬと共謀して、慈照寺のために保管中の金員より、菅しげに対し、同一の宅地買受代金を支払つたという行為を、業務上横領罪として、構成しているのであるから、右各訴因には、日時の記載こそ僅少の差があるにしても全く同一の用途に費消したという同一の行為が示されていると認められ、その基本的な事実関係は同一であるというべきである。

そうすると、本起訴別表第四の1、2と追起訴状の各訴因によつて示される、公訴事実は、同一であるから右追訴が、二重起訴禁止の規定に反するものであることは、明らかである。

しかして、検察官の右追起訴は、本件審理の経過にかんがみ、別表第四の1、2の訴因に示される公訴事実につき、その構成を新たにして、審判を求めようとしたものと解されるから、斯かる場合には、訴因の変更又は追加の手続によるべきものであつて、追起訴をなすべきではない。しかも、本件は、検察官において、その犯罪の個数の判断を誤り、一罪を構成すべき事実を、数罪として、数個の訴因として示して、起訴した場合と異り、元来、同一の犯罪行為を、同一の法的評価をなした上、数個の訴因に構成して、別罪として、公訴を提起したものであるから、右数個の訴因が、同一裁判所において、併合審理されたとしても、本件追起訴をもつて、訴因の変更と解して処理することは、許されず、結局、右昭和三三年一一月一五日の追起訴は、すでに昭和三一年一〇月六日公訴の提起があつた事件について、更に同一裁判所に提起された公訴であるから、刑事訴訟法第三三八条第三号により、これを棄却すべきである。

第三、無罪の理由

一、被告人の本件金員費消の事実の存否

そこで、進んで、本起訴事実の実体について審究するが、まず、被告人が単独又は、菅きぬと共謀して、本件各訴因記載の日時に、その金員を費消した事実の存否について、検討する。

(一)  公訴事実第一の(一)別表第一の1乃至3

第二〇回公判調書のうち被告人の供述記載及び第六回公判調書中証人山本成一の供述記載によると、被告人が、昭和二九年三月二七日頃金五〇、〇〇〇円、同年四月一〇日頃、金二五、〇〇〇円、同月二二日頃、金二五、〇〇〇円を、京都市中京区柳馬場押小路御幸町西入、山本成一方において、同人に対し、借入金の返済として支払つたことが認められる。

尚、右山本成一の供述記載及び第二四回公判調書中証人菅きぬの供述記載によると、被告人が、山本より借り受けた、前叙借受金額については、あらかじめ、被告人の妻きぬより、山本に対し、被告人に知らさないまま返済された上、右両名の間において、被告人には、右返済の事実を秘し、山本は、右金額を、被告人より受領して、これを、きぬに交付するとの約定が成立しており、山本は、前認定のように、被告人から、受領した金員を、菅きぬに、そのまま、交付していることが認められる。従つて、被告人の、前認定の費消行為によつては、経済的にみると、被告人、菅及び、妻きぬによつて保管されていた金員につき、結局損失は生じなかつたことになるけれども、一般に、ある人が、業務上保管中の他人の財産を、不法領得の意思をもつて、費消する行為に出でた以上、その時において、その他人の財産の侵害あり、というべきであつて、本件における前叙のような事実の存在は、業務上横領罪の成否には、関係がないと解すべきである。

(二)  前同第一の(一)別表第一の4、5

赤井純治の司法警察員に対する昭和三一年四月二六日付供述調書、及び、被告人の検察官に対する昭和三一年九月一三日付供述調書によると、被告人が、同二九年四月二八日頃と、同年一〇月二日頃の二回に亘つて、京都市左京区東山通百万遍角、第一銀行百万遍支店において、各金一〇〇、〇〇〇円宛、同店に対し、借入金の返済として、支払つたことが認められる。

(三)  前同第一の(一)別表第一の6

前掲、被告人の検察官調書及び石中末喜の司法警察員に対する昭和三一年四月二五日付供述調書によると、被告人が、昭和三〇年三月一〇頃、京都市東山区新門前町大和大路、石中末喜方において、同人に対し、借受金の返済として、金五〇、〇〇〇円を支払つた事実が認められる。

(四)  前同第一の(二)別表第二の1、3、4

第二〇回公判調書のうち、被告人の供述記載、三ヶ月しづ子の司法警察員に対する昭和三一年五月一六日及び同月一七日付、並びに、山本達雄の同じく、同年五月九日付各供述調書によると、被告人が、右本起訴状記載の各日時場所において、その記載のような趣旨で、各記載の金額を、山本達雄に支払い或は、三ヶ月しづ子に贈与した事実が認められる。

(五)  前同第一の(二)別表第二の2

右事実はこれを認めるに足る証拠はない。即ち、上田雅治の司法警察員に対する昭和三一年五月八日付及び同月一四日付各供述調書によると、昭和二九年三月初頃、上田雅治が、被告人に対し、東芝ラヂオ一台を、金一三、五〇〇円にて売渡したことが認められるけれども、右本起訴状記載の日時に、右代金額を、被告人が、右上田に支払つたという証拠はないので、右事実は認められない。

(六)  前同第二の(一)別表第三の1

右事実はこれを認めるに足る証拠はない。即ち、前掲赤井純治の司法警察員に対する供述調書、第九、一七、二四回各公判調書中証人菅きぬの各供述記載及び押収にかかる慈照寺住職菅月泉名義の普通預金勘定表(証第一五号)によると、菅きぬが、昭和二九年五月二〇日、第一銀行百万遍支店の、慈照寺住職菅月泉名義の普通預金より、金五〇〇、〇〇〇円を払出し、これを、同年三月二〇日付借受金五〇〇、〇〇〇円の弁済として、右銀行に支払つたことは認められるが、これにつき検討するに、検察官は、冒頭陳述において、右借受金五〇〇、〇〇〇円は、被告人らが、菅しげより買受けた土地代金の支払いに充てられたものである旨述べ、第八、九回の各公判調書中、証人菅きぬの各供述記載によると、菅きぬは、右検察官の主張に沿う供述をなし、且つ、その土地代金の支払いについても、被告人と相談をした旨述べていたけれども、前掲第一七回、二四回の各公判調書中同人の供述記載によると、右金五〇〇、〇〇〇円は、前叙の土地代金の支払いに充当したものとは別口のもので、これは、本堂の修繕費等の支払いに充てたのであつて、右金額の返済については、被告人は関知していない旨供述している。そして、これらの供述記載と前顕赤井純治の司法警察員に対する供述調書及び後記(九)項において認定する各事実とを、併せ考えると、第八、九回公判調書中証人菅きぬの前掲供述記載部分は、全く、同人の錯誤に基く供述であると認められ、信用することはできない。従つて結局右事実はこれを認めることができない。

(七)  前同第二の(二)別表第三の2

右事実は、これを認めるに足る証拠は存しない。即ち、前掲赤井純治の供述調書、第九、一七回公判調書中証人菅きぬの各供述記載及び押収にかかる菅子名義の普通預金勘定表(証第一七、一八号)によると、被告人が、第一銀行百万遍支店から借り受けた昭和三〇年一一月二一日付金二〇〇、〇〇〇円、同年一二月三一日付金五〇、〇〇〇円、同三一年一月一八日付金五〇、〇〇〇円の合計金三〇〇、〇〇〇円の金額を、菅きぬが右本起訴状記載の日時、場所において、支払つたことは認められるが、この返済については、被告人との共謀を認めることはできないばかりか、却つて、被告人の素行などが、新聞に載せられた後、右銀行より、貸付金の支払いを求められた菅きぬが、被告人に相談することなく、右金額を支払つたことが、認められるのである。

(八)  前同第二の(一)別表第三の3

石中末喜の司法警察員に対する昭和三一年四月二五日付供述調書及び第九、一七回公判調書中菅きぬの各供述記載、並びに、西田美都子名義の普通預金勘定表(証第二〇号)によると、被告人は、石中末喜より、昭和三〇年六月三日から、同年一二月二八日までの間に、九回に亘つて、合計三〇〇、〇〇〇円を借り受けたが、菅きぬが、被告人から右金額の支払いにつき相談をうけた結果、第一銀行百万遍支店の西田美都子名義の普通預金より、金三五〇、〇〇〇円を払出し、これを右本起訴状記載の日時、場所において、石中に対し、右借受金の利息を含めて合計金三五〇、〇〇〇円の弁済に充てるため支払つたことが認められる。

(九)  前同第二の(二)別表第四の1、2

右事実は、これを認定するに足る証拠はない。即ち、第一八回公判調書中証人誉田一郎の供述記載及び前顕第九、一七回公判調書中証人菅きぬの供述記載並びに慈照寺住職菅月泉名義の普通預金勘定表(証第一五号)によると、昭和二九年六月七日、菅きぬが第一銀行百万遍支店の菅月泉名義の普通預金中より金三五〇、〇〇〇円を払出したことは認められるが、これが本件土地代金の支払いに充てられたと認むるに足る証拠はないばかりでなく、却つて右払出金は本山への志納金等に支払われたものと認められるところであり、同日頃、これとは別に金一五〇、〇〇〇円が菅しげに支払われた事実も認められない。もつとも、菅きぬの検察官に対する供述調書、第八回公判調書中証人菅きぬの供述記載によると、菅きぬは、本件訴因に符合する供述をしたことが認められるが、これは、前掲各証拠に対比すると、同人の錯誤に基くものと認められ、俄かに信用することはできないし、前掲各証拠と菅子名義の普通預金勘定表(証第一七号)によると右土地代金としては、菅きぬが同年六月一一、一二日頃、二回にわたつて金四五〇、〇〇〇円宛合計金九〇〇、〇〇〇円を第一銀行百万遍支店の菅子名義の普通預金より払出し、これをその頃、菅しげに支払つたこと及び此の代金の支払いについては、菅きぬから被告人に対し相談がなされたことが認められるのである。なお、この事実についても後記のとおり犯罪の成立は認められないのであるから訴因の変更の要否については論及の限りでない。

(十)  前同第二の(二)別表第四の3、4

この事実は、これを認定するに足る証拠がない。すなわち、第一七回公判調書中証人菅きぬの供述記載及び泉照夫名義の普通預金勘定表(証第一九号)、左京税務署長より京都府警察本部刑事部捜査第二課長宛調査回答書によると右本起訴状記載の日時に菅きぬが第一銀行百万遍支店の泉照夫名義の普通預金より、金八五、二八〇円より払出し、その頃、これを、不動産贈与税、再評価税として支払つたことは認められるが、これにつき、被告人との間に、通謀ありとは認められない。

二、本件費消金員の帰属

つぎに、検察官は、被告人の本件費消金員は、いずれも、被告人が宗教法人慈照寺の代表役員として、その職務上保管していた慈照寺所有のものであつて、被告人には、その費消権限がなかつた旨主張するので、前叙第三の一において認定した被告人の費消金員が法人たる慈照寺の所有に属するものであるか、被告人個人の所有に属するものであるか、更に、これが慈照寺に属する場合において、被告人に費消権限があつたか否かについて、判断する。

(一)  第二〇回公判調書中被告人の供述記載、第七、八、九回の各公判調書のうち証人菅きぬの各供述記載、証人菅きぬの当公廷における供述(第三四、三七回公判期日)を綜合すると宗教法人慈照寺の維持経営並びに住職たる被告人及びその家族の生計費用は、同寺の拝観料、賽銭、集印料、絵はがき代等の収入及び被告人夫婦によつてなされる華道の免許料、墨蹟料、点茶料等の収入によつて、まかなわれていたが、その収入総額のほとんど大部分は拝観料収入で占められ、その余の収入は、これに比すると、全く、微微たるものであつた。そして、被告人及び妻きぬは、いずれも、右の収入は、すべて、当然に、住職たる被告人の所得となるものと思惟し、寺院収入と、個人収入とを区別することなく混同させて、第一銀行百万遍支店の預金として、或は、現金として、保管し、これらの収入金は、寺院関係の費用と、被告人の個人関係の費用とを問わず、自由に支出していたことが認められ、前叙第三の一において認定した被告人の費消金員も右保管金のうちから支出されたものであることは明らかである。そして、前掲各証拠と第一四回公判調書中証人山本原造及び第一五回公判調書中証人松原文治郎の各供述記載によると、被告人は、昭和一五年頃、実父憲宗の死亡により、慈照寺の住職として任命されたのであるが、前叙のような同寺の収入金は、被告人の先代の頃より、同寺の維持経営の費用に充てられると共に、余剰はすべて住職の個人所得とされ、住職、及びその家族の生計費等に充てられており、被告人が住職となつた後も、引き続きこれを踏襲して、前認定のような取扱いをしていたことが認められる。

(二)  ところで、慈照寺の法人登記簿謄本及び押収にかかる宗教法人慈照寺規則(証第二三号)によると、宗教法人慈照寺は、清浄法身昆慮舎那仏を本尊とし、大本山相国寺開山夢想国師の法統を継ぎ、その洪範に則り、臨済宗相国寺派の教義をひろめて、広く檀信徒及び衆庶を教化育成し、儀式行事を行い、その他、この寺院の目的を達成するための業務及び事業を行うことを目的として、宗教法人法によつて設立された法人であることが認められる。

元来、宗教団体たる寺院等に関する法的規制については、明治初年以来、昭和一四年までは統一的なものはなく、もつぱら、幾多の太政官布達、文部省達、通牒、判例が集積運用されていたのであるが、昭和一四年に至つて、宗教に関する基本法として、宗教団体法が発布され、以後、宗教法人令を経て、現行宗教法人法に至つているのである。そして、寺院は、右宗教団体法以前より、すでに、独立の法人格を有し、財産権の主体となり得るものと理解されて来ていたのであり、右制定法は、これにつき法的根拠を明規したものと解されるのである。

しかして、昭和二六年四月三日公布施行の現行宗教法人法は、宗教法人令による宗教法人設立の自由放任を是正し、宗教法人の規則の作成、合併等に関する認証の制度、宗教法人の管理運営面における責任役員制と財産管理上、重要な行為の公告制などを新しい構想とするものであつて、宗教法人法及びこれに基いて定められた宗教法人慈照寺規則によると、宗教法人慈照寺の財産管理の事務決定は寺院規則に従つて責任役員がすることとなつているが、同寺が、独立して、権利、義務の主体となることは明らかであり、その代表責任役員は、代表機関、全責任役員は、事務決定の機関にすぎず、宗制による住職は、寺務の主管者に過ぎないのであるから、慈照寺が、その基本財産たる寺宝を拝観させることによつて、参観人より徴収する拝観料、賽銭及び慈照寺の名においてなす集印料、絵葉書の販売代金等が、まず、法人たる慈照寺に帰属するものであることは疑いのないところであり、被告人は、これを宗教法人慈照寺の代表役員たる権限に基き占有していると認めるのが相当である。そして、同寺が右のように宗教法人として独立の権利義務の主体となるものである以上、これに帰属する財産の管理、処分に属する被告人及びその家族の個人的生活の費用に充て得べき金額の有無並びに範囲の決定は、同寺院規則及びこれが事務決定の機関たる責任役員の議決によつてなさるべきこと法理上当然であり、宗教法人法及び宗教法人慈照寺もこのことを明らかに規定している。そして、被告人の当公廷における供述、第二〇回公判調書中被告人の供述記載、被告人の検察官に対する昭和三一年九月一三日付供述調書、証人菅きぬ(第三四回公判期日)、同武松久吉(第三二回公判期日)、同山本成一(第三三回公判期日)の当公廷における各供述及び京都府総務部文教課長より京都府警察本部刑事部捜査第二課長宛事実調査回答書を綜合すると、被告人は、新宗教法人設立に際しては、相国寺派より送付されて来た寺院規則案をそのまま引用して慈照寺規則とし、責任役員としては、妻きぬ以外に、従前から比較的親しかつた山本成一、武松久吉両氏にその就任方を依頼し、同人等の承諾を得た上、法人設立の手続をしたのであるが、その新制度に対する無理解から、被告人夫婦及び右山本、武松等は、いずれも、責任役員としての職務につき何等自覚するところなく、ただ、形式上、宗教法人たるの体裁を整えたに過ぎない状態で、宗教法人慈照寺規則によると、前叙のような慈照寺の収得金は法人たる慈照寺の普通財産とされ、普通財産は、これを法人の経費に充当し、且つ、これについて毎年、予算の編成、決算の作成が要求されており、その年度の余剰金の一部又は全部は基本財産に編入させることができる旨、及び右収得金の使途等については、右規則に定められたところに従つて責任役員の議決によつて定まるところとなつていて、住職の所得となし得べき部分、範囲についても当然その例外となつていないにもかかわらず、新宗教法人が設立された昭和二九年三月二五日の前後を通じて、これについては、予算の編成はもちろん右普通財産中住職及びその家族の生計費等に使用し得べき金額すら何等の定めをしなかつた。従つて、右普通財産の管理については、被告人及び妻きぬが、ほとんど責任役員である山本、武松に相談することもなく、従前からの慣行をそのまま踏襲し、その普通財産の全部を独自の考えに従い、慈照寺の維持経営の用途に充てるとともに、その余剰は、すべて、被告人の個人生活の費用に充当するという前示認定のような処理をして来たことが認められる。

他方、第五回及び第二二回各公判調書中証人橋本修堂、第一二回公判調書中証人玉井香山、第一五回公判調書中奏隆真第二三回公判調書中久山忍堂の各供述記載及び当裁判所の下村寿一、篠原義雄、井上恵行に対する各証人尋問調書の供述記載によると、宗教法人法施行により宗教法人管理につき責任役員制が確立され、各寺院規則によると普通財産の管理については、おおむね慈照寺と同様の定めがなされているが、大部分の寺院には、収入が尠く、かつ、その収入もあらかじめ、確定し難いため、右規則に従つて予算、決算をすることはなく、外見的には、宗教法人法施行後も従前からの慣行と同じく、寺院の収入は、寺院の維持経営の費用に充てられるとともに、余剰は、すべて住職の個人所得とされ住職及びその家族の生計費に充てられていることが認められるのである。(ただし、右慣行が責任役員の議決の内容になつているかどうかによつて、慣行どおりの処理が違法又は適法になることは以下において検討するとおりである)

(三)  しかしながら、慈照寺住職たる被告人が同寺の財産中いかなる部分を、いかなる範囲において、自己の用途に費消し得るかについては、その寺院規則の定めるところに従い作成される予算の一項目として事務決定の機関たる責任役員の議決によつて定まるものであることは、前叙のとおりであり、右認定のような事情があるからといつて、当然に従来の慣行を是認することは許されないが、その反面、前に述べて来たように、あたらしい構想のもとに宗教法人法は発足したが、それによつて法人とされる同寺の実体は、その法律施行の前後を通じて、変るところはなく、ただ、その事務決定の機関として、あたらしく、責任役員なるものがおかれたにすぎないのであるから、住職たる被告人と同寺との特殊な性格、関係にもとづいて従前から取得していた住職の収入が、予算の作成がなかつたことのみによつて直ちに、否定されてしまうと考えることもできないところである。本件宗教法人慈照寺においては、責任役員たる被告人及び菅きぬ、山本成一、武松久吉が、その職責につき自覚を欠き、職務を怠つて、寺院規則に定める予算の編成をしなかつたのであるが、予算の編成をしなかつたからといつて代表役員たる被告人の慈照寺の普通財産処分に関する行為がすべて、刑法上業務上横領罪をもつて目すべきであるとはなし得ない、すなわち、宗教法人慈照寺規則は、同寺の普通財産の処理について、予算の編成を要求しているのであるから、事務決定機関たる被告人を含む責任役員四名、右予算の編成をしなかつたことについては、職務上義務違反のそしりは免れないが、同寺院規則にいう予算は、同寺の一会計年度における収入、支出の予測或は歳出歳入の見積を指称しているのであり、右予算の編成は、同寺の事務として、責任役員によつて議決の上なされるものであつて、これについては、さらに、他の機関の承認を要求する規定はなく、同寺の財産の管理処分に関する事務を含む個々の事務が、右予算の編成と同様に、責任役員によつて決定されるものであり、代表役員は、この決定に従つて同寺の事務の執行に当るものである以上、予算は事務を執行する機関の支出行為に対し、事務決定の機関たる責任役員が、あらかじめ具体的、項目別に、いわば承認を与える形式に過ぎないと解せられ、これと前認定の他の寺院における財産管理の実態とを併せ考えると、宗教法人たる寺院においては、予算によらない支出がなされたからといつて、これが直ちに、宗教法人法の法人管理の諸規定に違反するとは解されず、従つて、予算の編成がなされなかつたことのみにより、同寺の普通財産の処分は、全く許されないとすることはできない。要するに、宗教法人法、慈照寺規則にいう予算は、責任役員の議決の方法として、予算という方式を厳守することを要求しているのではなく、責任役員の議決という実質の厳正を要求しているとみるべきであつて、畢竟、その適法か否かは、それらの処分行為が責任役員の決定に従つてなされたものであるか否かにかかるものである。

(四)  ところで、宗教法人慈照寺規則によると、同寺の事務は、責任役員の定数の過半数によつてこれを決し、その責任役員の議決権は、各各平等とする旨定められているが、その議決の形式については、責任役員会の定めとかその他何等の制限がないのであるから、これは、必ずしも、形式的に、全責任役員が一堂に会合して協議可決するというような手続を経なくとも、これと同様の結果を求め得るかぎり、任意の方法によることが許されるものと解される。しかし乍ら、宗教法人慈照寺においては、普通財産よりその代表役員であり、且つ住職である被告人が、取得し、又は、費消し得べき金額につき、責任役員が何らの決定をしなかつたものと認むべきことは、以下認定するとおりである。

先ず、右(二)項掲記の各証拠によると、

(イ) 被告人が、新宗教法人設立後も、責任役員の明示の議決を経ないで、引続き拝観料等の寺院の収得金につき、これをもつて、寺院の維持経営の費用に充てると共に、残余は住職の個人生活の費用に充てるとの従来からの慣行に従う意思をもつて、前認定のように、慈照寺の普通財産の全部を、独自の考えに従い、寺院関係の費用と被告人の個人関係の費用とを問わず、自由に支出して来たこと。

(ロ) 被告人が、外出することが多く、その行状につき非難する風評のあつた昭和三〇年終り頃、責任役員武松久吉は、被告人の住職としての報酬を一ヶ月金一〇〇、〇〇〇円位にしてはどうかとの意見を有し、責任役員山本成一は、小遣を一ヶ月一〇〇、〇〇〇円位に制限したならばよいと考えたことがあり、これを座談的に語り合つたことがある以外は、右両名は、慈照寺の普通財産処分について全く関心を示さず、被告人及びその妻きぬによつて行われている普通財産の処分につき、何らの異議を述べたり、被告人等と話し合つたりしたことはなかつたこと

が認められる。

右事実によると、被告人及び妻きぬは別として、責任役員たる武松、山本両人は、個々に、被告人のなしていた普通財産処分行為を黙認していたと認めるのが相当であり、これらの事実の存在が、責任役員において、被告人が慈照寺普通財産中より取得又は費消しうべき金額の範囲につき、従来からの慣行に従うとの決定をなしたと認定する方向に働くことは否定できない。

反面、前掲各証拠によると、

(ハ) 責任役員菅きぬ、同山本成一は、宗教法人法及び慈照寺の寺院規則の理解に乏しく、責任役員としての職責につき全く自覚がなく、責任役員が、普通財産処分についての事務を決定すべき職務権限乃至義務があることさえ知らなかつたと認められ、責任役員武松久吉も、慈照寺の普通財産処分につき、責任役員が事前に決定すべき職責ありとの自覚があつたとは認め難いこと。

(ニ) 被告人及び菅きぬを除く責任役員二名は、慈照寺における普通財産処分に関する従来の慣行の内容及び同寺の財産管理の実体(殊にその収入、支出等)について明確な認識はなかつたこと。

(ホ) 慈照寺を含む大多数の宗教法人たる寺院に従来から存在する寺院り収入のうち、寺の維持管理の用途に充てた残余の部分は住職の個人の所得又は費消しうべきものとする慣行は、もともと寺院の収入は予測し難く、また比較的少額であるという事態を前提として発生してきたものであること

が認められ、更に、前顕証人菅きぬの当公廷における供述、第七回公判調書中同証人の供述記載、証人高畠謙蔵の当公廷における供述及び京都観光局観光課長より京都府警察本部刑事部捜査第二課長宛の調査回答書によると

(ヘ) 慈照寺においては、昭和二五年、鹿苑寺こと金閣寺の金堂が焼失以来、拝観料収入が異常に増大し、昭和二九年度、同三〇年度における拝観料収入は、各一〇、〇〇〇、〇〇〇円乃至一五、〇〇〇、〇〇〇円位となつたこと

が認められる。

しかして、複数の責任役員の議決により成立する法人の意思は単なる責任役員たる個人の意思が偶然に一致したものではなく、責任役員が、その職務上、法人の事務を決定するために表示した意思を基本としているものであり、右認定のように、慈照寺の収得金が、従来に比し、異常に増大した場合において、前叙のような住職の収入に関する慣行がそのまま行われたならば、住職たる被告人個人が取得し、又は費消し得べき金額も相当多額になることは予想され、この結果、慈照寺の普通財産中の相当額が、法人たる同寺の経費と目される範囲を超えて、住職個人に帰属することとなり、宗教法人法及び慈照寺規則に照し、違法若しくは甚だしく不当な財産管理の状態が発生するとも考えられるから、この結果を是認することとなるような責任役員の意思を、前記のような黙認という態度から推認することは許されないのである。従つて右認定の各事実の存在は、前叙住職の収入に関する責任役員の決定の有無の認定につき、否定に働かざるを得ない。

そして、以上認定の(イ)乃至(ヘ)の事実を併せ考えると、慈照寺においては、住職の収入につき何ら議決がなされなかつたと認めざるを得ないのである。

尚、前顕証人菅きぬの当公廷における供述及び第八回公判調書中同証人の供述記載によると、菅きぬは、前叙第三の一の(九)後段において認定の土地代金支払いに関し、責任役員武松、同山本の承認を受けた旨供述しているが、第四回公判調書中証人武松久吉、第六回公判調書中証人山本成一の各供述記載を併せ考えると、右土地代金の支出についても、責任役員における事前の決定があつたと認めることはできない。

(五)  以上認定のとおり、慈照寺においては、新宗教法人設立の昭和二九年三月二五日以後、住職である被告人が同寺の普通財産中より取得し、又は、費消し得べき金額につき何らの定めがなかつたのであるから、被告人が代表役員たる権限により慈照寺のために保管していた前叙拝観料収入等の普通財産を、自由に、自己に取得し、或は、自己のために費消することは許されないというべきである。

しかし、被告人が前示認定のとおり費消した金員は、慈照寺の普通財産に属する金員と、被告人又は妻きぬの個人収入による金員とを混同し、区別せず保管していたものの中から支出されたのであるから、本件費消金員が、直ちに慈照寺の普通財産に属する金員に属していたと断定することはできないが、証人菅きぬの当公廷における供述によると、被告人または妻きぬの個人収入は年額二五〇、〇〇〇円足らずで、前認定の拝観料収入に比べると、全く微々たるものであつたと認められるから、本件費消金員は、寺院の普通財産に属するものであつたとみるのが社会通念上相当である。

なお、第四回公判調書中証人曾根正秀の供述記載及び第一〇回公判調書中証人向井正太郎同藤原末三の各供述記載によると、慈照寺の執事であつた曾根正秀は、昭和二八年度乃至同三〇年度の課税の対象となるべき被告人の所得額を月額三〇、〇〇〇円乃至三二、〇〇〇円とする旨、徴税官吏との間で協議決定した上、納税し、税務当局は、終局的に、被告人の年額所得額を、昭和二九年度金六〇〇、〇〇〇円、同三〇年度金九〇〇、〇〇〇円と査定した上徴税したことが認められるが、これらの金額が、被告人の真実の所得額でないことは、右供述者自身が認めるところであり、また、これを責任役員の決定とみることができないことは明らかであるから右金額が住職個人の所得であると認定することはできない。

(六)  弁護人は、被告人は、本件支出行為を含む慈照寺の普通財産処分行為につき、昭和三一年四月一六日、責任役員の事後の承認を得た旨主張するが、被告人が費消した本件金員の使途につき、事後承認を得たというが如き事情はすでに成立した犯罪及び被告人の罪責に何ら消長を及ぼすものではない。

三、業務上横領の犯意の存否

慈照寺を含む大多数の宗教法人たる寺院には、従来から、寺院の収入は、寺院の維持経営の費用に充てられると共に、残余の部分は、すべて住職個人の所得又は費消しうべきものとし、これが、住職及びその家族の生計費等に充てられるという慣行が存在し、宗教法人法施行後も、大部分の寺院は、依然、右慣行に従つて財産管理をなしていることは、前叙第三の二の(一)(二)項において認定した通りである。

弁護人は、慈照寺における右のような住職の収入に関する慣行は、慣行的不文の寺院規則として、新宗教法人設立後も、有効に存続している旨主張しているが、慈照寺には、既にその基本準則として成文の慈照寺規則が定められており、これによると、寺院の普通財産は法人の経費に充てられることとなつており、この規定に反する限り、従来からの慣行は否定されたのであり、特に住職の収入となし得べき金額の決定は、法人の具体的な事務内容であり、責任役員の議決すべき事項であるから、弁護人主張の右不文規則は、新宗教法人の設立と同時に否定され失効したものというべきである。

ところで、被告人の当公廷における供述、第二〇回公判調書中被告人の供述記載及び第三の二の(一)、(二)掲記の各証拠を綜合すると、元来、寺院の住職には、その寺院と住職個人の密接な関係から、寺院即住職という観念が強く、宗教団体法、宗教法人令施行当時、既に、寺院財産と個人財産とが区別して考えられていたにも拘らず、大多数の寺院においては、寺院の拝観料収入等の普通財産の処分は、全く住職が自由になしており、これが前叙のような各寺院の慣行となつていたのであるが、慈照寺においても、この例外ではなく、宗教法人令施行当時、現行寺院規則と、略ぼ同一内容の財産処理に関する規定を有する寺院規則が存在していたに拘らず、右慣行により財産処分がなされており、これは被告人の先代の頃より当然のことと理解され、総代等の寺院関係者において、これを疑うものはなかつた。しかして、新宗教法人設立後も、大多数の寺院は、従来の慣行に従つた財産管理をなしており、被告人は、宗教法人法、慈照寺規則における普通財産管理に関する諸規定について、明確な知識を有していなかつたことから、右法規の存在に拘らず、前叙慣行の正当性を信じ、且つ、右慣行に従つて、慈照寺の普通財産を処分すべき権限ありと誤信するに至り、右法規所定の手続によることなく、従来の慣行通り、自由に、同寺の普通財産を処分し来り、本件前認定の各費消行為に出でたものであることが認められる。

ところで、該法規は、被告人の同寺の代表責任役員としての、普通財産処分の権限に関するものであるから、被告人において、前叙費消行為をなすにつき、その権限がなかつたとしても、被告人は、これについて認識を欠いたことにおいて、刑法第二五三条の罪の構成要素たる事実の錯誤を生じたものであつて、被告人が右誤信したことについて、相当の理由の有無を問わず、犯意を阻却するものといわなければならない。従つて、前認定の本件各費消行為は犯罪を構成しないというべきである。

四、むすび

以上一乃至三説示の理由により昭和三一年一〇月六日起訴にかかる各公訴事実は、いずれもその犯罪の証明がないから刑事訴訟法第三三六条後段により無罪の言渡をなすべきである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 石山豊太郎 新月寛 三代英昭)

(別表略)

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